ミャンマーの極貧スラム街で暮らす方々へU様からの食糧支援をしました

ャンマーのシャン州の某都市にあります極貧スラム地区で暮らす方々へU様からの食糧をとどけました。

U様からの菓子パンとドリンクを携えスラム街を訪問しました。
U様からは、当スジャータ活動発足当初から手厚い支援を頂き、多くの貧困生活者が救済されています。

スラム街に入って行くと「お坊さん、道間違えてますよ、この先行き止まりですよ」と言われて「そうでなく、皆さんに食べ物を配りに来ました」と言ったとたん瞬く間に人が集まり始めました。

初めは子供から手渡していきました。

わたくしスジャータがマスクをしているのは面が割れないためです。
現地で慈善活動をする外国人に対して巨大アンチグループがあり、本来でしたらこのような活動はもっと目立たないようにする必要があります。
活動場所も特定されると危険ですので某都市と書かせていただきました。

住民の方々にどこから来ているのか聞いてみたところ、エーヤワディー管区、ザガイン管区、カチン州など全国から来ているのが分かりました。
一部、戦闘激しい地域から逃げてきている人々(難民)もいました

これらの建物は家畜小屋とかではなく住居です。

あまりにも貧しいので、飴一個でも大喜びしてくれる状況です。

雨期のこの時期は雨かぜの激しい日があり、常にバラックの修繕に追われます。

子供、大人、老人、希望者全員(約80人)に渡すことができました。
みな本当に喜んでくれました。

接してみて分かったのは、超極貧だけれども心は荒んでなくて、人間的な穏やかな心をもった人々でした。
時々受け取らない大人がいて「どうして受け取らないのか?」と聞いたら「お坊様からはもらえない、本来ならこちら側からお布施をしなくてはいけないくらいです」と話していました。
人々の心が貧しさで荒んでいないのは「仏教スピリチュアル」が心に根付いているからと思われます。

菩薩行をするときに先進国(日本)と貧しい国では大きな違いがあります。
ミャンマーのような国では善行功徳をしたいと思ったらすぐそこに幾らでも見つけることができます。
しかし、日本のような国で善行をしようと思った時、「いったい何が善行なのか、人に喜んでもらえる事とはどのような事なのか」考えているうちに訳分からなくなって行き、三日間くらい考えた挙句結局何もしないと言うことになったりします。
以前のわたくしがそうでした。
社会、個人の分断化、価値観の多様化が進みすぎると簡単なことが簡単で無くなります。

U様、この度は極貧暮らしを強いられている社会の最下層の方々に「温かいご慈悲」の救済支援をありがとうございました。このようなU様にとっての善徳業を手伝わせていただいた私にとりましても大きな霊的な益を得ることができました。深くお礼を申し上げます。

U様をはじめとする生きとし生ける者が安全でありますように、健康でありますように、幸せでありますように。

Sādhu! Sādhu! Sādhu!

この日の救済活動
支援主: U様
救済物資: 菓子パン、ドリンク
救済先: ミャンマー、シャン州、某市内のスラム街の皆様

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